皆さんこんにちは。界整骨院の戸軽です。

実はわたくしは中学ではサッカーをやっていましたが、オスグッドシュラッター病にかかっておりました。

なんだ!成長痛ジャン!?と思っている方が大半だと思いますが、最後まで読んでいただくと「えっ?そんなことになるの?!」とオスグッドっていったい・・・となる事と思いますので少しおつきあいください。

 

~はじめはこんなもんです~

実は小学生の時から踵と膝が床に重心を掛けたりすると痛みが出で来ることに疑問を感じていましたが、意識してやらなければ特別痛くないのでそのままにしておきました。

たびたびそんな痛みがあっても子供の時分なにも分かりませんでしたし、親も「ふーん」の一言でした。

 

~成長痛って?!~

中学に入りサッカー部に入部すると一年生は基礎体力つくりでひたすら走り込みばかりでした。そこからだんだん痛みを感じるようになり、当たると激痛が走るようになりました。

ふと気が付くと膝下の骨が何となく出っ張っているように見えてきていましたが、何も知らないのでどうにもなりませんでした。

ある日同じサッカー部の友人が「成長痛だから1週間部活休むわ!」と言いました。その時同じ症状だったことでびっくりして1週間でいたみとれるのかな?と思ったのでしたが見事に取れてました。しかし私のは何年も痛みが続いていたのでどうだか疑問でした。

~当時は誰も認識していませんでした~

中学一年生の冬いよいよ痛みが際立ってきましたので、親に言ったところ「そんなもんほっとけば治るわよ」でした。しかしずっと前から痛かったことを訴え続けようやく「そんなに痛いんだったらいってくれば?」とのことでした。

 

 

当時は「整骨院」というものが無く「ほねつぎ」というもので、柔道場に看板があったのを覚えています。今みたいにインターネットがあるわけでもなく、そこが何をやっていて「ほねつぎ」ってなんだ??位なものでした。ですので当然医者に行くわけです。風邪を引いたら町医者である「○○医院」それ以外は「○○病院」と決まっておりましたが、なぜか○○病院は「やぶ医者」と評判だったにもかかわらず、そこの病院に通っていました。そこで病院で受けた診断は「成長痛ですね。1週間休んでください。」でした。そこで「ずっと前から痛かった」ということを訴えても「まあ安静にしていれば痛みは無くなるよ」といわれ終わりました。湿布もありません。1週間後痛みが引かなかったので病院に行くと「じゃ湿布出してあげるからこれ貼って安静にしててね」と言って終わりでした。

 

 

~ここからが大変でした~

それでも部活動を続けていたこともあり、痛みがますます悪化していったので大きな病院にいきました。そこではサッカーをやっていると言うと、担当医が読売サッカークラブの専属医で、証明書を見せてくれました。そこでだいぶ前から膝の所が痛くて、ますます痛みが強くなってと言い、レントゲンを撮ったところ(最初に病院ではレントゲンは撮影されませんでした)脛骨粗面と膝蓋骨(お皿ですね)の所が皮が剝けたかのように剥がれた画像を見せられました。それを見た先生は「うーんこれからもサッカー続けたいなら部活休んだ方がいいねー」と言われました。どのくらいか聞くと「しばらくかかるよー、骨が剥がれているからねー」ということでしたその時カルテに書かれていた言葉が「オスグットシュラッテル」という言葉でした。そして当時まだ処方箋扱いだったバンテリンの塗り薬と湿布を渡され通院を繰り返すことになりました。

 

~膝切りますか?~

親にひと通り話したところ「ああそうなんだ」で終わりでした。多分なにがなにやらなんでしょう、サポーターすら買ってもらえませんでした。それからはサッカーを続けながら通っていましたが痛みは当然引きません。むしろ悪化の一途をたどっています。膝に熱感が常に起こり、椅子に座っていてもジンジンと膝下に痛みが起き、立っていても歩いていてもジンジンと痛く時には足を引きずるように痛くなることもあり、ついには夜中に痛みで起きてしまい寝不足になる事態に…。それでも部活の仲間からはやれ仮病だの言われ散々でした。そうしているうちに病院からはこう言われました。「部活辞めないと膝切るよ。そうなると日常生活は大丈夫だけど、サッカーはもうできなくなるよ」それでも病院では膝のストレッチをするくらいで、湿布とバンテリンは変わらずなので何にもなってない感じでした。

 

中学2年になり膝の痛みも相変わらず、部活に邁進していましたがついにドクターストップがかかりました。「大分悪くなっているね。このままだと骨が完全に剥がれて歩けなくなるから、本当に手術だよ」といわれ、レントゲンを見てみると首の皮一枚ってこのことと言わんばかりの光景でした。膝のお皿の部分はきれいに治まっていましたが、脛骨粗面が酷かった…

 

 

~まだまだ酷くなります~

そうして部活動を引退する事となりました。それからは体育の時くらいに運動をする程度でしたが、ヒドイめくれ様の膝が中腰にすらなれない状態にまでなりました。膝が曲がらないというより、曲げた時点で痛いということです。もちろん普通に立っていても熱感が出でジンジンしますけれどネ。椅子に座って授業を受ける事がいろんな意味で拷問でした。

 

~もっとも最悪だったのが~

そしてやって来ました修学旅行in京都・奈良。この日程の中に坊さんの説法を「正座」をして聞くというありがたい拷問が…極楽浄土への道しるべか、地獄へまっしぐらか…

ま当然ですがコレコレこう言う訳でと先生に相談したら、却下となりました。今これをやったら大問題になりますが…まあ先生も認識甘いんですね!

当日2時間くらい正座に耐えながら、何をいっているかわからないまま説法は終わり、もはや立つことすらできない私をクラスメイトが抱えてくれてバスまで運んでくれました。

 

1ついいことと言えば、部活動を辞めてから身長が13cm伸びました。

 

~その後の状態は~

通院は薬が切れたら行くという感じでした。中学2年生の夏に引っ越しをしたこともあり、なかなか通いきれないことと痛みがあまり変わらないことからそんなに行かなくなりました。

やがて高校受験となり進学すると、安静時痛が少しずつ軽くなってきたのです。もちろんしゃがむ事は出来ませんが中腰程度は痛まずに出来るようになりましたが、運動部には入らずアルバイトをしてオートバイを買いのめり込みました。そうして18歳になりようやく痛みが完全に消えたのです。

~今の環境では起きにくいことなんです~

 

以上が壮絶なオスグット人生ですが、何故ここまでひどい状態になったかをおさらいしますと

まずオスグッド・シュラッター「病」病気ですとわざわざ言ってる時点で、他と区別しているのに誰も認識が薄いという点。

成長痛との境がハッキリしていない為、当時はお医者さんも安静にしてとしか言えないのと、この場合は最終的に手術で治す考えがあるということです。

つまり間が無いのです。今では我々整骨院がその間を治療しています。筋肉と骨の成長バランスは同じではありません。その為にまだ柔らかい骨である成長期の子供は筋肉の強さに負けて引きはがされてしまうのです。その状態が脛骨粗面がぼっこり出た状態で、ジンジンと痛く膝が曲げられない状態です。剥がれた骨はくっつくのではなく、骨が成長とともに増殖して本体と剥がれた骨が増殖して出来た骨と合わさるまで痛みが続くのです。

現在では研究がかなり進んでいる事と、整骨院における治療に対する一般的認識が上がってきたことで治療成績は飛躍的に向上しました。

早ければ硬くなっている筋肉を電気治療や手技でほぐしていき、患部は超音波治療器で骨の増殖を促したりあるいは熱感を取り除いて痛みを取る治療ができます。早ければテーピングで筋肉を動きやすくして緩める助けになり、早期治癒につながります。
 

 

 

私の当時と違い程度によってスポーツができる事。これはスポーツ環境がプロ化に伴いケガに対する知識を持った人たちが増えてきたことです。

しかし一方でケガをしたらそこでおしまい的な、レギュラーやスタメンから外されるといった恐怖感からしっかり治さない子供がこれまでの整骨院経験で多いことがあげられます。

怪我を早く治すために身体を休ませる必要があるときは、子供が練習に出られないことに脅迫感念を持たないように周りの人たちがバックアップして欲しいということです。

今は本番で最高のパフォーマンスが出来て良い結果を生むことが主流となっているからこそ医療面でも自宅でのケアを行ってほしいのです。