初めまして! 今月より和ごころ整骨院に入社致しました。
堀田悠平(ほった ゆうへい)と申します!

 

出身は神奈川県茅ヶ崎市です。茅ヶ崎といえば、海を思い浮かべる方が多いと思います。

 

加山雄三さんが、初めてサーフィンをしたのが茅ヶ崎の海と言われたり、サザンオールスターズの桑田佳祐さんが茅ヶ崎にゆかりのある方なので海水浴場はサザンビーチと名付けられたりしています。

サザンオールスターズといえば、数年前から茅ヶ崎駅のホームで流れる曲が「希望の轍」になりました。当時はサザンの、どの曲になるかで随分と市内で話題になったのは記憶に新しいです。

僕は、茅ケ崎市立西浜小学校に通っていましたが、毎年恒例の運動会に使われる、入退場やダンスの曲目に必ずと言っていいほどサザンオールスターズの曲が入っていました。鉄板は「波乗りジョニー」と「勝手にシンドバッド」。

「今何時!? そーね大体ね~♪」という歌詞は全校生徒が歌えたのではないでしょうか。

 

 

スポーツ経験としましては、小~中学生は野球部に属していましたので、砂浜ダッシュなど海での練習をすることも多かったです。

ポジションはキャッチャーをやっていました。「とにかく足腰が重要だ!」という指導の下、砂浜でひたすらジャンプスクワットをやっておりました。今では懐かしいなと思えますが、地獄の時間とチームメートと呼ぶほど辛かったです。

 

ちなみに当時の甲子園で僕が一番印象に残っている試合は「駒大苫小牧vs早稲田実業」の試合です!

両校とも最高にカッコイイ選手が揃う中、一躍話題になったのは斎藤佑樹選手と田中将大選手でしたね。延長まで決着がつかず、再決勝戦となり、最後は斎藤vs田中という結末。見事甲子園を制したのは斎藤選手率いる早稲田実業でした。

このドラマチックな展開に当時中学生だった僕は夢中で見ていました。

あの名試合がもう十数年前とは、時間が経つのは早いです・・・。

 

 

 

高校時代は一転、水泳部に入りました。

小学生時代、少しだけ水泳教室に通っていたので、4泳法は一通り泳ぐことができました。ちなみに4泳法は、ブレスト(平泳ぎ)、バック(背泳ぎ)、バッタ(バタフライ)、そしてフリー(一般にクロールのこと)です。フリーは自由形とも言いますので、泳ぎ方も自由です。

 

余談ですが、赤道ギニア代表「エリック・ムサンバニ選手」をご存知でしょうか?彼は、2000年に開催されたシドニー五輪、100メートル自由形予選に出場した選手です。(元はバスケットボール選手でしたが、国の要請により出場することに・・・)

当時赤道ギニアにあった17メートルプールで一日数時間しか練習ができないなか、懸命に練習を続けました。

その期間わずか8カ月!初めて50メートルプールを見たのが本番当日だったという噂もあります。

本番では溺れそうになりながら、ほとんど犬かき状態で100メートル泳ぎ切りました!

記録は1分52秒72。タイムだけ見ると、どれだけゆっくり泳いだんだ?途中で足でもつったのか?などど思ってしまいますが、不器用ながらも最後まで泳ぎ切った姿に、観客は大きな感動に包まれました。

「参加することに意義がある。」この言葉を体現して見せた選手です。僕の大好きな人物の一人です。

 

話は戻りますが、僕が通っていた高校は屋外に25メートルプールがある、スタンダードなスタイルでした。

5月から9月はそのプールで練習をするのですが、5月はまだまだ寒いです!唇は紫色になり、ブルブル震えながら練習していました。「泳げば身体は熱くなってくるから大丈夫だっ!」と言われながら泳ぎ続けましたが・・・。結局、寒さの方が勝ってしまい、僕達の身体が熱くなることはなかったです。

シーズン外は陸上トレーニングをしつつ、週一回は平塚市総合公園の温水プールで練習していました。僕は茅ヶ崎から自転車で通っていましたので、馬入橋という茅ヶ崎と平塚の架け橋を通るのですが、練習後は橋の坂道を渡るのがきつかったのを覚えています。

 

 

 

趣味のサーフィンを始めたのもその時期でした。

始めた理由は、「海が好き!」と「楽しそう!」です。また、父も兄もサーフィンをやっておりますので、自然と始めました。(妹も去年、ついに新品のボードを買いました!)泳ぐのはプールで慣れているとはいえ、波のある海は全然違いました。

パドリングはすぐに疲れてしまい、テイクオフも全くできず、想像以上の難しさに嫌気がさしていました。ですが、そんな状況でも続けていると、ふとした瞬間にボードの上を立つことができる様になりました!最高にスリリングで気持ち良かった瞬間です。

以降はすっかりはまってしまいました。一時は成人型喘息を発症してしまい、海から離れましたが、症状が治ってからは再び海に行くようになりました。

まだまだ、初心者の域ですが、楽しく続けています。

 

 

 

 

そんな高校生活も、進路を考える時期となりました。

やりたい事が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返してなかなか決まらなかったのを覚えています。

ドラマ(題名は忘れましたが)の影響で憧れたバーテンダー、美味しい給食が食べられると思った小学校教諭、バイトしていた寿司屋で板前を目指す、地元のサーフショップで働く・・・などなど。

様々な夢が出てきました。その中で、自分がお世話になった整骨院の先生が頭に浮かびました。

野球をやっていた際に肩や肘を痛めたり、体育の時間に転んで捻挫したりした際に通っていました。その進路を考え始めた時に、タイミング良く初めて鍼灸治療というものを見る機会にめぐり合いました。

細長い髪の毛のような鍼で人の痛みが緩和されている。お灸がとてもいい香りをしている。世の中こういう医療もあるのかと、とても不思議に感じていました。調べてみると「柔道整復師」「鍼灸師」という資格がある事がわかりました。その時点で「自分も医療関係の道に進もう」と決めました。

 

 

 

高校卒業後はすぐに横浜医療専門学校に入学しました。

僕が、柔整・鍼灸両方の資格を取る為に5年間通った学校です。当時は、通学しながらアルバイトをして学費等に充てていました。

高校時代より続けている「すし三崎丸 茅ヶ崎店」。大船駅構内のパスタ屋「チーム・パッパーレ」(今は閉店してしまいましたが(涙))。横浜元町エリアの結婚式場「ホテル・メルパルク」。そして、東戸塚駅前にある「ドラッグストア セイムス」。

などなど、興味のあるバイトは学業に支障のない程度でやっておりました。

パスタ屋と寿司屋を掛け持ちしていた時は、美味しい賄いで一日を過ごすこともありました。パスタ屋は早朝に行き、ソースの仕込みをしながらお客さんにコーヒーなどを提供していました。ひたすらラテアートの練習をして、何とかハートとリーフは描ける様になった時は嬉しかったのを覚えています。

午後は学業に専念し、学生モードに切り替えです!授業内容を頭に叩き込み、叩き込み、叩き込み・・・。夜は茅ヶ崎に戻り寿司屋で勤務スタート。大穴子の握りが大好きで、それを楽しみに仲間とワイワイ働いていました。今でも当時のスタッフと飲みに行ったりと親交が続いているのは、僕の中でとても嬉しいことの一つです。

 

 

 

その様な生活も、資格を取ってからはガラッと変わり、地元茅ヶ崎の整骨院で働くことが決まりました。

柔道整復師の資格を取った時は、まだ鍼灸科の2年生でしたので昼間は整骨院で働き、夜は学校に通っていました。(柔整、鍼灸の国家資格試験を受ける為には、最低でもそれぞれ3年間の通学が義務付けられています!僕は柔道整復師科3年生の時に、鍼灸科に再入学している、いわゆるダブルスクール生でした。)

働きながらの通学は目が回る忙しさでしたが、無事に鍼灸師の資格も取得することができました。

そしてついに、地元茅ヶ崎での仕事を離れ、こちら「和ごころ整骨院」に入社することが決まりました!今までとは違ったスタイルにワクワクを感じながら、一生懸命に頑張って参りますので、皆さまどうぞよろしくお願いいたします!

 

堀田 悠平